PS4に背面ボタンが追加! 歴代ゲーム機のコントローラーはどう進化した? 前編
おはようございます、霧涼アリカです。
先日PS4コントローラーに、背面ボタンを追加するアタッチメントが発売されると発表がありました。
アタッチメントは他のボタンの代わりに使用するということで、ボタン数が増えるわけではありませんが、持ち方によっては今まで使い辛かった操作が可能となるでしょう。
さて、コントローラーのボタンというと、今まで発売されてきたゲーム機はどうだったでしょうか。
PCゲームはキーボードという大量のボタンの付いた機器を使うので、ボタン数に悩まされることはありません。
しかしコンシューマーではコントローラという形の仕様上、ボタン数がある程度は限られる弱点があります。
世界初の家庭用ゲーム機が発売されたのは、今から47年前の1972年。半世紀は前の話です。
そこからどうやって進化し、私たちが慣れ親しんでいるコントローラーへと変わっていったのか、ざらっと紹介してみます。
宜しければ最後までお付き合いください。
PS4に背面ボタンが追加! 歴代ゲーム機のコントローラーはどう進化した? 前編
ゲーム機戦争
この記事では据え置き機をメインとして扱います。携帯機は取り扱わないのでご了承下さい。
日本において、2019年末でのゲーム機と言うと『Nintendo Switch』『PS4』『Xbox One』の3つだと思います。
それぞれ任天堂、ソニー、マイクロソフトの開発したゲーム機ですが、この3つになったのは、壮絶なゲーム機戦争と呼ばれる覇権争いがあった為です。
若い方は、生まれた頃には既にプレステか任天堂、みたいなイメージがありますが、ゲーム機をよく知る方々には様々な物が発売されていたと記憶しているでしょう。
数多発売されたゲーム機の中で、淘汰された物と生き残った物。
何か違っていれば、今でも覇権として残っていたかもしれないメーカーもあり、調べてみると非常に奥深いです。
最初に発売されたゲーム機を第1世代とすると、現在は第9世代に突入しています。
全て紹介すると途轍もない量になるので、世代ごとに幾つかピックアップして、軽く解説を入れての記事とします。
スペック的に発売順序と世代が前後する場合もありますので、そちらをご理解頂けた上でご覧ください。
第1世代
オデッセイ:1972年 (2つのパドル)
世界初の家庭用ゲーム機が『オデッセイ』です。
コントローラーにはボタンが付いておらず、2つのパドルを使って上下左右を操作します。リセットボタンはあるようですね。
ゲームカセットという概念は無く、カードを差し込んで内部データを切り替えて遊ぶという方法になっています。
さらにテレビ画面上にキャラクターや背景を詳細に表示する技術がまだ無かったので、『テレビの画面に直接フィルムを張る』という手段で雰囲気を補っています。
世界初は、今では考えられないゲーム機ですね。
テレビテニス:1975年(2つのパドルとカウントダイヤル)
日本発のゲーム機がこちら『テレビテニス』です。
名前の通りテレビでテニスするだけのゲームで、両サイドにある2つのパドルを使って操作します。CPUなんて無いので、強制2人プレイですね。
テニスですがスコアのカウントをゲーム側でやってくれないので、物理的にカウントできるダイヤルが付いていて、そっちで数えます。
第2世代
Atari 2600:1977年(ジョイスティックとボタン)
第1世代はゲーム機? と思うような物でしたが、次の世代になってゲーム機らしさが出てきます。
アメリカのアタリ社が開発したAtariは、見ての通りスティックとボタンが本体から出ています。しかもカートリッジでゲームを変えられるように!
第1世代が比べ物にならないのですが、後に『アタリショック』と呼ばれることが発生する事態にも・・・・・・。
日本ではそんなにヒットしていなかったので、そこまで被害は無かったらしいです。
カセットビジョン:1981(左右2対のパドルとボタン、レバー、コーススイッチ、スタートセレクト)
シルバニアファミリーや野球盤で有名な、あのエポックからゲーム機が発売していたのです。その名も『カセットビジョン』。
コントローラーが本体一体型ではありますが、カセット交換式でゲームが出来るということで日本で大ヒット(ファミコンが出るまでは)。
なお本体にCPUが無くカセット自体に内蔵されているということで、まだまだゲーム機としては作りが出来上がっていません。
TVボーイ:1983年(スタート,ポーズボタン、レバー?、Aボタン)
あの超有名企業、学研がゲーム機を発売しておりました。『TVボーイ』。
左手で取っ手を掴んで右手でレバーを操作するという、奇妙な珍しい操作になっています。
ソフトは6種類が発売。ゲーム機戦争の結果はお察し下さい。
第3世代
PV-1000:1983年(スティック&ボタン、スタートセレクト)
ゲーム機ですから、精密機械ですよね。
というわけで出ました、CASIOのゲーム機『PV-1000』です。
ついでにPV-2000という上位機種も発売しましたが、名前が似てる割にソフトの互換性が無いという謎仕様。
操縦桿のようなコントローラーも不思議な感じです。
ぴゅう太:1982年(ディスクパッド、ボタン2つ)
今週もやってきました土曜日恒例ホビーパソコン紹介。先週に引き続いて1983年にトミーから発売された、ぴゅう太Jr.(P.47)を紹介します。https://t.co/W3bFLy4yS2 pic.twitter.com/8YT93OPRQX
— 前田尋之@ファミコン本12/26発売! (@hiropapa00) 2016年1月9日
コントローラーの画像が見つからなかったので、ツイートを引用します。
㈱トミー(現タカラトミー)が発売したぴゅう太の後継機、ぴゅう太Jr.の画像ですが、なんとも言えないコントローラーをしています。
意外と感度は悪くないとの話もありますが、まあ『ぴゅう太』本体のインパクトと比べると衝撃が薄れる感じがあります。
はい。プログラムが出来るゲーム機兼パソコン、という立ち位置のものなのですが・・・・・・なんと言うか、表現に困りますね。
ちなみに前述のPV-2000も似たような感じです。
SG-1000:1983年(両側ボタン2つ、8方向ジョイスティック)
Sega Gameの略で、SG、セガから発売されたゲーム機です。
片手で持って操作すると考えれば、そこまで悪くない形のコントローラーだと思いますね。
ちなみにSC-3000という、ぴゅう太と似たようなプログラミングの出来る機種も同日発売です。
全体的に悪くない印象のゲーム機です。
発売日がファミコンと同日だという点以外は。
ファミリーコンピュータ:1983年(十字キー、A,B,スタート,セレクト、後期型はマイクあり)
お母さんがゲーム機を呼ぶ時はファミコン。それくらい世間に浸透しているゲーム機である『ファミリーコンピュータ』です。
カセット交換式は勿論、今までのコントローラーと違って馴染みのある形になってきました。
当時のゲーム機としてはコスパが非常に良く(14,800円)、高性能だったために大ヒット
。ゲーム機戦争の序盤では覇者となる存在です。
周辺機器が非常に多いので、そちらは割愛します。
第4世代
PCエンジン:1987年(コントローラーはファミコンとほぼ同じ)
ハドソンと日本電気ホームエレクトロニクスが開発したPCエンジン。当時としては非常に高性能であり、ファミコンが発売されて数年経過した状態では圧倒的なスペックを持っていた。が、ファミコンの牙城は崩せず。
コントローラーは『良い物が出たら追従する』的な発想なのか、ファミコンと凄い似ています。
発売から1年後、CD-ROM²という『CDでゲームをする』ための周辺機器が発売。カセットでゲームをするのがやっとの時代に、CDという高性能な媒体を採用したのは先進的な取り組みですね。
メガドライブ:1988年(方向キー、スタート,A,B,Cボタン)
ファミコンと同時発売から5年、セガからメガドライブが発売します。
画像は上が旧式、下が後期型のモデルで、方向キーがジョイスティックに近い形状となってボタン数も増加しています。邪魔な時はmodoボタンを押すと無効に出来るので、性能は悪くないです。
追加の周辺機器が多いことでも知られ、『メガドラタワー』と呼ばれる事も。
スーパーファミコン:1990年(方向キー、A,B,X,Y,L,R,スタート,セレクトボタン)
スーファミの愛称で知られる、任天堂から出たスーパーファミコンです。
ファミコンから正統進化したような形のコントローラーで、使いやすさや感覚などは皆さん知る所でしょう。
触ったことが無い人に説明すると、「うーん、古いけど普通に使えるな!」って感じですかね……。特に可もなく不可もなく、普通に使えるコントローラーって印象です。レトロゲーをやるときは、このコントローラーだと雰囲気が出ます。
『サテラビュー』という放送衛星からゲームを受信する先進的(2019年にグーグルから似たようなものが発売)な周辺機器が出ていたり、
Play StationというCDを読み込むための周辺機器が開発されていたりしました。
何所かで聞いたことのある名前ですが、残念ながら任天堂から発売される事はありませんでした。
この後から滅茶苦茶長くなるので、ここで一旦切ります。
第5世代以降は明日投稿しますので、宜しければまた見に来ていただけると嬉しいです。
↓次回
それでは、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
投稿:2019年12月29日
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