うつを治すスタートラインってどこだろう 病院? それとも……
おはようございます、霧涼アリカです。
今日の記事は日記のようなものですので、苦手な方はブラウザバックでお願いします。
心療内科に通って、早9年。調子の良い年もありましたし、何も出来ず臥せってしまった年もあります。
最近になって、なんとなく『うつを治すスタートライン』を見つけられた気がしたので、今日はそれについて書いてみようと思います。
個人的な語りになりますが、もし宜しければ最後までお付き合いください。
うつを治すスタートラインってどこだろう 病院? それとも……
何所からが治す最初の位置になるのか
自分を『うつ』だと認識するのは何処でしょう。
暫くの間、感情などが上手くいかなくて、自身でうつかもしれないって思うパターン。
もしくは、妙な体調不良が続いてどの病院でも異常なしだった結果、心療内科などを受診して医師に言われたパターンもありますね。
私は医師に言われてから自分がうつだったんだと知りましたが、認識は出来ませんでした。
認識出来たのは、病院に通って暫くした後。
「あ、もしかして自分はうつだったのか」と、ある程度気分が落ち着いてから、ふと気付いたのが切っ掛けでした。
うつは脳の病気です。風邪をひいたのと同じく、きちんと治療を出来る病気です。
けど、自分がうつなんだなって認識しただけでは、私はまだ治すスタートラインに立ててないと思います。
うつなんだから、それ用の病院に行って、処方された薬を飲んでいれば治るという事ではないのです。
うつに対して処方される薬は、脳内物質の働きを助けるものです。薬によって元気が出るわけではなく、薬が脳に働きかけて自身の力を補助するのです。
ゆっくり休めるようにして、立ち上がる力を少し貸してくれるものだと私は思っています。
でも、その薬を飲んだからといっても、それだけでは治りません。
病院へ行く、うつを認識する、薬を飲んだりカウンセリングを受ける。
うつを治すには大変助かる存在ですが、ただ医師に言われるままにルーティーンのようにこなすだけでは、まだスタートラインじゃない、スタートライン一歩手前の状態です。
処方された薬や、カウンセリングが直接スタートラインに立たせてくれる訳じゃないと、私は思います。
もちろん、スタートラインが何処にあるのかを見せてくれたり、近くまで運んでくれる役割は確実にあります。
ただ、うつって切った張ったで治せる怪我や病気ではなく、目に見えない傷が心にあることで起きる状態です。
誰の目にも見えない傷を治すには、どうしても自分自身の力が必要になってくるのです。
私が考える『うつを治すスタートライン』は、自分で一歩だけ前に歩くこと。
現実的な足の話ではありません。心の中の自身です。
一歩踏み出す勇気と心。それが、うつを治すスタートラインになっていると、私は思うのです。
一歩だけ前に歩いてみる
散々『治す』と書いていますが、正直な話をすると治すのは不可能だと思います。
医療的な言い方をすれば『寛解』が相応しいですし、ざっくりと言えば『傷と一緒に歩いていく』となる気がします。
本当に、完全に治すとなった場合、確実なのは記憶を消去することです。
そうすれば、うつの原因となったストレスは覚えていません。
無論そんなことは出来ないので、寛解を目指していくのが、うつの治療ですね。
嫌なことを思い出さなければいいだけじゃ、となるかもしれませんが、私の経験的に不可能でした。
嫌な記憶に蓋をしていても、ある日いつのまにかちょっと蓋が開いているのです。
開いてしまうと嫌な記憶が呼び起こされ、溜めた分が余計に溢れてきます。
ただ薬を飲んで、カウンセリングを受けて、だけでは治らない。
ではどうしたらいいのか。
毎日、一歩だけ歩いてみる。
昨日の自分より一歩分だけ、もしくはすり足でもいいから、ほんのちょっと進む意識を自分の中に持つ。
一歩を毎日続けていたら、気づいたときには最初の位置から随分離れた場所まで行けるのです。
最初から大股で「治すぞ!」って動いてみるとすっ転びます。
別に、そんな急がなくて良いと、私は思うんです。
ストレスとなった嫌な事は、基本的には過去の出来事ですよね。
完全に忘れることが出来ないなら、自分と一緒に先へ進むしかありません。だって、過去の方へと近づいてしまったら、後悔の連続です。
あの時あれをすれば、こうしておけば。そう思うことは、沢山あります。
でも過去は変えられない。
変えられないからこそ、後悔せずに受け入れてあげる必要があると思います。
失敗したこと、上手く出来なかったことで、自分を否定しなくても良いんです。
むしろ、それらがあったからこそ、今の自分がいます。
今いるって事は、生きてる。生きてるだけで大したもんじゃありませんか。
自分が大嫌いって場合は、自分を認めてあげましょう。
そりゃ、嫌いな部分はあって当然です。私自身も、いつまでも鬱々とする所が好きじゃありません。
けど、私は私を認めてます。
いっぱい失敗したし、むしろ成功のほうが少ないけど認めてます。
誰にでも好かれるような自分じゃありませんから、私だけは自分を認めてあげるんです。
ダメなところもいっぱいあるけど、私は私。
嫌な思い出もあるけれど、好きじゃない部分もあるけれど、そういう所を含めて私なんです。もう、しょーがないから一緒に行くしかありませんよね。
過去を振り返ることはあります。
あー、やっちまったなぁ、って思うことは多々あります。
でも、後悔し続けるなんて、そっちの方が嫌なんです。
今はダメダメだけど、いつかは先へ進みたい。
だから、一歩だけ歩いてみるんです。
他の人と比べたら、とてもゆっくりかもしれない。なかなか目的地に着かないかもしれない。
それでも毎日歩いていると、いつか望んだその先が、少しだけ近くにあるんです。
今日も鬱だけど一歩だけ歩いてみる。
その意識が出来たとき、うつを治すスタートラインに立って、先へと進める。
そんな風に、私は思っています。
きっといつか、望む場所に辿り着くために、一歩だけ歩いてみませんか。
終わりに
小説のタイトル回収みたいになりました。
このブログの名前って、こんな感じの思いからつけてみたんですよね。
あと、実はこの記事で連続投稿50日。
こんなに続けられたのは、見に来て下さる皆様のお陰です。本当にありがとうございます。
毎日一歩って事で、1日1投稿はこれからも続けてみようかなと思ってます。
それでは、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
また明日も、宜しくお願いします。
投稿:2019年12月18日
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